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 これは、私と、私を取り囲む曖昧な存在たちによる、電子記録である。
 
 その日も、私は性懲りもなく廃墟を巡っていた。人間が破棄した生活を、自然が淘汰するあの感覚が、ただ好きだった。人間を肯定も否定もせず、あるべき姿に戻ろうとしているだけの彼らに、慈しみの感情すらあった。
 マニアというほどでもないのだが、インターネットでヒットした廃墟に、暇さえあれば足を運ぶ。タクシーが使えないような場所であれば、最寄りまで電車に乗って、あとは徒歩で。二時間前後までならば許容範囲だ。おかげでこのなりだが幾分か体力はあった。
 免許があれば、活動範囲が広がりそうだが、歩いてそのあたりに生える花を愛でるのも、また一興なのである。
 遊園地や、温泉。ガソリンスタンドでもなんでも。新旧は問わなかった。無機物そのものを愛していたが、朽ちていればなお良いという、本当にただそれだけの腐った感性に突き動かされていた。
 十五度ほど傾いて、切れた線を垂れ下げながらボロボロに錆び付いている鉄塔を眺めていた。おおよそ三十センチほどの雑草が、てっぺんに追いつこうと背筋を伸ばす。私は、これを日本のピサの斜塔と名付けよう。威厳も尊さも皆無だが、確かに誰かの生活の一端を担っていたこの鉄の柱を。
 写真を撮って帰ろうとしたときであった。目を凝らせば、ひらけた田園とは対照的に鬱蒼とした場所。岬のようになっているようにも見えるその丘。木々の隙間から見え隠れするのは、間違いなく建造物であった。距離にして三百メートルほどだろうか。私はそこまで歩いてみることにした。
 好奇心は猫を殺す、なんてよく言うが、これまで身を滅ぼしたことなど一度もないから、私は地に足をつけてこの田舎を練り歩いているわけである。
 この日も、特になにも考えていなかった、そこに山があるから上を目指す登山家のように、魅力に感じたものに、どうして知らん顔ができようか。
 大正時代、もしくはそれ以前からその姿で森に住み着いているのであろう。
 くたびれた洋館が、私の眼前に現れた。 

   曖昧未異  
 

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