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 まだ新しいヒールが枝を踏む。廃墟巡りに五センチ以上のヒールなど、阿呆のすることなのはわかっていたが、私のファッションに口を出さないでいただきたい。靴に重さがないとすぐに転ぶのである。仕方がないことだと思ってほしい。それに、本来平坦な道を歩く予定しかなかったのだから、事態が特殊なだけである。
 丘の上。なだらかな傾斜が余計に腿に響く。体力はあるが筋力がある、わけではない。
 小さな石畳の階段を数メートル、二段飛ばしで進むと、そこには明治か大正か。先ほどの引きの演出よりも、より立派に見えるそれは、明らかに日本の夏の田園とは不釣り合いな、半壊した洋館である。屋根の一部はごっそりとなくなっていて、衛生的に心配になる。東京都心の一軒家ならば五、六個、はすっぽりと埋まってしまうだろう大きさで、辺りにはガラスの破片が飛び散っている。中には、ステンドグラスのように色付いたものもあった。赤茶色の屋根にくすんでクリーム色になってしまった白の外壁は、レトロ感を醸し出す。
 廃墟を囲うように並ぶ崩れたレンガの塀には、“───写真館”と凸型にエッチングされた館銘板が歪んで付いているものの、今記述した通りにおそらく苗字に相当する部分が抜け落ちている。なんだか、意図的にも見えた。
 気が付けば、さらに歩みを進めて、立て付けの悪い大きな両開きのドアに、私は手をかけていた。種類はわからないが、夏の青々とした木々が風で揺れる。
 踏み出す。
 しんと、静寂が耳につく。右半分の内装は綺麗に残っており、ここだけならば、まだ買い手のつきそうな状態だった。もしかしたら、手放したのはそこまで昔の話ではないのかもしれない。そこまで昔と言っても、想定では、百年前。くらいだろうか。
 ロビーには、雨漏りをして腐った洋箪笥もある。壁にはいくつかの写真が大きな額縁に入れられている。配置的に不自然に抜け落ちている部分もあった。
 ほとんどが家族写真で、白黒だった。昔の金持ちはこぞってここへやってきたのだろう。しかしそれでも、辺鄙な場所であるが。
 埃が、片側の頭上から差し込む光に照らされて、きらきらと舞っていた。ちなみに、スマホのライトで照らさないと、建物の半分は暗いままでほとんど何も見えない。私の足元には、ヒールの形に足跡ができており、埃の層が年季を感じさせた。
 二階に続く大階段をのぼる。階段の手すりには、美しい彫刻が施されていた。触らないけれど。手が黒ずみそうだから。
 なんとなく、ライトが止まるのを承知で写真を撮ってみたりもする。少し日が差して光があるところでは動画に切り替えたり。別にこれらはどこに載せるでもない。自分の創作の参考にするだけだ。
 内装を描写するのが少し苦手なのである。
 それに、誰も入った形跡がないこの場所をむやみにインターネットに載せるのは、いろんな意味で、怖い。
 階段を上りきったそのとき、最奥の部屋から謎の気を感じた。扉は閉まっていたが、誰かの視線のような。怖いよりも好奇心のパラメータが大きい私は、そんなこと構わずに、埃を踏んで籠ったヒールの音を鳴らした。

曖昧未異  
 

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